独立記念日からインドシナ戦争まで(1945-1954) その2

インドシナ戦争の間、非武装地帯で学校は続けられました。経験ある人材確保し、民族解放戦争とその後のベトナム発展に貢献するため、1950年、政府は公式に教育改革計画を通過させました。
学校の教育目標の定義は、人民の民主主義政治に忠実で、人民と民族解放戦争に尽くす力のある、未来の国民となる若い世代を教育し、育てることでした。民族解放戦争の状況に応じて、教育改革の主な内容は一般教育の構造を(教育の年数を減らすことで)変えることができました。また、このような変更にも一貫性を持たせるために教育システムの様々な構成要素の関係を調整することもできました。したがって、一般教育は総計9年の三段階で構成されました。ベトナム語の読み書きの授業を除く4年の初等教育、3年の前期中等教育、そして3年の後期中等教育です。授業の内容に関しては外国語、音楽、デッサン、家事など一時中断されたものもあれば、時事、政策、公民、制作など、加えられたものもありました。一般教育カリキュラムが一時的に凝縮されたため、生徒達は大学入学前の9年生の終わりに大学準備コース(最初は2年間でしたが後に1年間に変更されました) を受けなくてはなりませんでした。同時に、反無学主義と専門的な教育システムは、総合的な反無学主義に続き、初等、中等教育プログラムができたことなど)変化し、医学・薬学と、科学(主に文学と数学)の大学は引き続き運営されました。

一時占領された地域では、学校は12年のカリキュラムでした。そのカリキュラムは1945年の初め、日本がフランス領インドシナを侵略した時にベトナム人の学者達が整備したものを基調としていました。そのように一時的に占領された地域の教育制度の特徴は、植民地支配教育の圧力が弱まったことでした。学校ではフランス語に代わりベトナム語が使われ、多くのベトナム的な要素が学校カリキュラム(*)に含まれました。しかし、そのような地域で使われていたカリキュラムはまだフランス教育の影響を色濃く受けていました。

*カリキュラム:カリキュラムは愛国的学者ホアン・スアン・ハンが発展させました。