独立記念日からインドシナ戦争まで(1945-1954) その1

我々ベトナム人が政権をとり、ベトナム民主共和国の独立を宣言すると、初大国家主席ホーチミンが初めての会議で、「貧困、無学、そして侵略者との闘い」が当時のベトナム政府と国民の三つの鍵となる重要な課題であると認めました。1945年12月6日、国家主席は1945年度の始まりの際、独立を維持し、国を再建する使命を掲げ、新しい教育制度の誕生を明確にするとともに共に公開状を学生達に発信しました。

「教養のない国は脆弱である」という原理を根幹として、1945年12月8日、ベトナム政府は重要な法律文書、法令第17条-SLを公布し、「ベトナム国民は皆、教養を身につけていなくてはならない。」としました。また「全国に農民や労働者のための夜間教養クラスを設置する」として、「初等教育の義務化の整備の間、ベトナム語での授業を義務とし、国民全て無料で受けられる」という法令第20条-SLを公布しました。そして1945年10月、ホーチミン国家主席は「反文盲」を宣言したのです。

政府方策と、ホーチミン国家主席の号令に応え、一年もたたないうちに2,500万人の人々を文盲から救うために9万6千人の教師を伴う7万5千の教養クラスができました。その結果、民主共和国の設立で反文盲と国民の学ぶ権利の改善は国家の方針となりました。読み書き計算はその人物の教養を表す評価の基準とみなされました。その時から数十年、ベトナムは反無教養と人々の学習条件の改善に尽くしています。だからこそ、ベトナムは世界教育をすべての者に運動(1990年)に素早く反応して、ジョムティエン活動計画を積極的に実践し、ダカールゴールの達成に深く専心しました。

1946年に植民地領主国軍の戦争計画に反対を強調する目的で、ベトナムは二つの法令を公布し、教育方針の法的枠組みを構築しようとしました。それらは、法令第146条-SLと法令第147条-SLで、以下が主な内容です。

a)声明:新しい教育制度は三つの基本原則に基づき構築される。:国民的、科学的かつ一般民衆に信頼され、国家の理想と民主主義の為に尽くすことを目的としていること。

b)新教育制度の構成の一本化、すなわち就学前段階の後、3段階の教育を設ける。
-第一段階、すなわち教育の基礎段階は4年間
-第二段階、2つの副部門に分けられる。(i) 4年間を二つの段階に分けた一般教養と3年間の専門教育、(ii1一年の実験か1年から3年の職業教育(どちらかによる)の2つの段階に分けた特殊教育。
-第三段階、大学(文学、科学、法学科などを含む)と最低3年の専門学校教育。大学に準ずるのは「研究所」とする。
-三つの段階と共に、教育学(教師教育)もまた初等・中等・高等の三つの段階を設ける。

c)教育の基礎レベルのための法的規定を制定すること。7歳から13歳までの全児童は無償で学校に通うことができ、1950年からは基礎教育段階は義務教育とする。大学に関しては、同じく1950年から全科目がベトナム語で行われることとする。長い間フランス語が全大学で使われていたため、この決定は大胆なもので、当時のベトナム知識人の愛国心が表われていました。