改革前の歳月(1975-1985)

1975年4月、ベトナムの独立を護り、国土の再統一を目指すベトナム民族解放戦争は、完全な勝利を収めました。勝利の後、南部地方の教育部門のために、政府は2つの事業に重点を置きました。(i)古い教育制度の影響を消し去ること。そして、(ii)12歳から50歳の国民を対象にした反文盲運動の実施です。

1つ目の事業に関して、教育省は迅速に新しい12年制のカリキュラムを作り、法令を出しました。そして南部で用いられていた教科書に代わり、2000万部の教科書を作り、印刷しました。古い体制の下で働いていた教師の多くは再雇用されました。同時に私立学校から宗教色を取り除き、徐々に国の指揮下に置き、国立化を行っていきました。

政府が計画した2つ目の事業は、最優先事項として政府が文盲を迅速になくし、補習教育を強化することでした。反文盲運動は愛国心の象徴とされ、教えること、学ぶこと、また人々の学びを助けることが何百万もの人々の心をとらえました。1978年の初め頃には、南部の全都市と省で文盲は消滅しました。読み書きができないであろうとみなされた140万5870人の人々のうち、132万3670人が文盲から脱するための支援を受けました。これは計画の94.14パーセントの達成率です。

これらの早急な事業を実施する間、政府は国家の再構築計画と国の発展のためにふさわしい、国の統一教育制度を設立するための教育改革の準備をしました。

3度目の教育改革は1981年度に始められました。この改革の重要な特長は以下の通りです。

a)教育目標が、多方面にわたる人間の成長の最初の基盤を作ることを目的とする、幼少期から成人に至るまでの若い世代の保護と教育 と定義されたことです。 また、(生産的関係、科学および技術、文化とイデオロギーの)3つの改革の実施を促進するための教育一般化すること、そして労働部門のニーズと並び、働き手を増やし、訓練と養育を行うことも目的とされました。

b) 教育の内容に関しては、「総合的な教育の質の改善と、人民の社会主義の構築の理想を理解し、担うことができる新しいタイプの働き手をつくること」に焦点が置かれた点です。

c)教育原理には、実践、教育、労働を伴う学習が含まれ、学校と社会の繋がりが強化されたこと。

d)教育制度の構造は改正され、南部の12年制の制度と、北部の10年制の制度は12年制の一般教育制度に替えられたこと。小学校と前期中等学校を一本化し、後期中等学校への準備期間としました。そして専門大学が多くつくられ、発展を遂げました。

1996年に完了した3度目の教育改革で最も重要だったのが、全ての学校の教科書を一新したことです。これにより、全国の一般教育に一貫性がもたらされました。教育内容だけで言えば、改革後のカリキュラムはより近代的で、かつその結果として教育の質の改善の前段階を作り上げる要素を持たせていました。

しかし、改革実行の間、多くの困難に遭い、いくつか限界も露呈されました。最も大きな危機は、目標や方策が非現実的で実行不可能だったことでした。制度の大拡張化、全生徒への助成金、教育の一般化などです。一方で、南北境界線での戦いと景気後退のため、適当な人材・資源を確保することができませんでした。3度目の教育改革で提案された実現不可能な解決策の代表例は、中央政府の計画が反映されたもので、小学校と前期中等教育学校の一本化です。教師や教育管理者の力量不足や施設が不十分であるなど、現状はかんばしくなく、これらの統一校はその後再び分離されたのです。一般的な認識として、莫大な助成金と教育福祉の援助が受けられることを全国民が期待しました。しかし、そのような認識が影響し、教育の発展は遅れをとりました。国の予算の教育費の割合が他の部門と比較して少なかったからです。それでも人々は自分の子どもの教育は、職業訓練や高等教育であっても助成金が出されるべきと考えました。助成金への期待は、ベトナムのように貧しく、発展途上にあり、特に戦後で経済危機であったという背景では、全くそぐわなかったのです。