改革の20年(1986-2005)

1980年代初め頃のベトナム教育の最大の危機は、国が集産主義経済を取り除く一方で、経済的資源を供給することができなかったことでした。結果的に、他の部門と同様に教育も深刻な人材・資源の枯渇にぶち当たったのです。教師も生徒も学校を去り、教育制度の規模は縮小し、質も低下しました。大学や専門学校、職業訓練学校は正規の活動を維持するために必要な最低限の予算も十分ではありませんでした。卒業しても雇用先は見つからず、講師達は少ない収入を補うために、講師にふさわしくない仕事もしなければなりませんでした。官僚制度の中では、大学や専門学校、職業訓練学校には何の権限もなかったのです。

1986年、経済危機を脱するため国家の大改革を計画しました。ベトナムの指導者達が中央集中の制度から社会主義重視の市場体系に移行させたのです。この国家政策の大転換の結果、教育部門も改革が求められます。この教育改革の内容と範囲は多岐にわたりました。基本的な問題の一つは、過去の間違った見解や方策を見直し、景気の低迷を止めてシステムを安定、強化するため、新しい方策を強く提示し実行すること、そして発展の持続に必要な人材・資源が伴う状況にするということでした。この目標を達成するには、若者世代のための社会、家庭、学校の人材・資源の社会主義化、民主化、多様化そして流動化の点において変革が必要とされました。教育部門は国家の教育制度を維持し、向上、発展させることに努めました。そして、教育の質と効率をよりよいものにするのに重大な役割を担う、教師や教育監督者達の物質的、精神的生活を向上することを重視しました。

「一般教育に関する」改革の方針は、カリキュラムの目的と内容や教科書、教育に関する認識の修正を続けることです。また、それぞれの生徒や教師、その地方の特色に合わせたやり方で徐々に総合的な質にすること、一般教育と職業教育を関連付けること、国の責任をしっかりと確約し続けること、そして、教育の社会主義化を実行することです。社会主義化活動を実践する一方、公的な助成金への非現実的な期待を排除することは重要なことでした。

一般教育の改革で用いられた方策の中に以下のようなものがあります。政府はどの学年でも授業料の寄付を認めました(小学校は一般化のターゲットだったので除外されます)。授業料の寄付が認められたのは、私立幼稚園、準公立学校、民立教室・学校の全ての学年です。教育部門は教育活動を生徒の活動レベルによって分類しました。また前・後期中等学校での才能ある生徒の為に特別学校も設立しました。そして前・後期中等学校の通常教育と教員教育で優秀な生徒には、選択クラスも設けました(子どもの発達を損なう可能性があるため、専門学校と選択授業は、詰め込み教育を避けて、小学校には設けられませんでした)。

この改革では後期中等教育の能力別カリキュラムの試験的な作業が熱心に行われました。生徒の能力に応じて学習活動を分けることを認める、能力別カリキュラムの拡張が準備されました。また、一般教育と職業教育を結び付けることで、生徒達は仕事と職業スキルを手にすることができました。初等教育レベルでは、改革中のカリキュラムを徐々に完成させるとともに、少数民族の子どもたちや恵まれない子どもたちのための様々なプログラムも作り、より柔軟性のある授業を導入しています。それまでの反文盲運動の経験を活かし、政府は「反文盲国家委員会」を設立し、反文盲の責務を初等教育の一般化に付け加えたのです。