ベトナム封建時代と植民地時代の教育

ベトナム人にとって学習を奨励すること、そして教師を尊敬するということは、伝統的価値観のひとつです。古くからベトナム社会の知識人の中には、教師の地位は親よりも高く、唯一国王よりも低いという認識がありました。庶民は、自分達は子供に「人としてどうあるべきかを知るために学ぶ」機会を与えるべきであると理解していました。多くの市町村自治体では、裕福な人々は家に教師を招き住まわせ、我が子や他の家庭の子供たちに勉強を教えてもらったのです。王朝時代の役人(政府行政官)の採用では、志願者は優秀な学業成績を収め、試験で高得点を取らなければ指導者になることはできませんでした。そのような政府行政官採用の初試験は1075年に実施されています。

千年近くの間、ベトナム人は漢字を学び、文字を書くことに使っていました。しかし、中国語とは異なったベトナム式の発音をしていました。こういった学習の発展のしかた、そして、国家の独立の意識を保ち、強めることで、中国人にベトナム人が同化されなかったということが明確にわかります。漢字を使うほかにもベトナム人は漢字を作り変え、古代ベトナム文字を発明し、文章を書き、物事を表現しました。このおかげで、価値のある古代ベトナム文字の文学や歴史的作品が多く後世に残されたのです。

19世紀終わり頃から20世紀半ば頃までは、ベトナムを含むインドシナ全体がフランスにより植民地化されていました。ベトナム人は儒教に重点を置いた伝統的な教育を作りだし、維持していました。しかし植民地政府に従う人々を主に訓練することを目的として、フランス‐ベトナム式教育に取って替えられました。フランスのインドシナ侵攻が最盛期の頃は、ベトナムには前期小学校(最初の3年間の初等教育)はわずか2,322校しかなく、平均して3つの村に1つあるだけでした。そしてその児童数は全人口の2パーセントしかいませんでした。また、638の(初等教育の残りの)後期小学校は、全人口の0.4パーセントのみ、私立中等学校(4年間の前期中等教育)は16校で、人口の0.05パーセント生徒数のみでした。後期中等学校は6校で、そのうちの3校が公立でありながら、国の中学生は人口の0.019パーセントしか生徒がいませんでした。フランス領インドシナ全体で大学(法科大学・薬科大学・理科大学)はハノイにあった3校のみで、学生は834人、うち628人がベトナム人でした。フランス‐ベトナム教育制度のもとでは、フランス語が共通言語で、講義は高等教育レベルのフランス語で行われていました。そのような教育システムのため、95パーセントのベトナム人が読み書きすることができませんでした。